2017/01/27
田舎暮らしブログ
奥美濃、奥飛騨今昔物語

今は昔、岐阜の三大秘境と言われたところがありました。四十数年以前の話です。まず一つ目は今は徳山湖に沈んでしまった徳山村です。水没前の徳山村は大きなコンクリートの建物もある幾つもの集落に分散した村でした。当時は樽見のさらに奥、根尾の能郷の手前から馬坂峠を越えバスで行ったものです。二つ目は石徹白です。今では近くにスキー場もできて秘境というイメージはありませんが集落を流れる石徹白川は水脈としては九頭竜川と合流する北陸の川です。ここも桧木峠という500メートルを登り下りする峠が行く手を塞いでいます。一日かけて北濃駅から歩いて石徹白にまでたどり着いたという話を聞いたことがあります。最後は白川郷と五箇山の県境を流れる境川の上流にあった桂部落、加須良部落です。これも今はダムにによる水没で滅んでしまいました。このブログでは四十数年前の奥美濃、奥飛騨の記憶をしばらくたどってみたいと思います。

徳山の中心集落。真ん中の三階の建物は学校(役場?)揖斐川を渡る橋と西谷に続く林道が見える。
徳山の中心集落。真ん中の三階の建物は学校(役場?)揖斐川を渡る橋と西谷に続く林道が見える。
徳山の集落から西谷の支流を遡ると5kmほどで戸入、更に9km遡ると門入の集落がありました。入は丹生のことで硫化水銀(辰砂)を製錬する技術を持った丹生氏が住んでいたと先輩から聞いたことがあります。全国に丹生という地名があり辰砂の産地と言われています。
徳山の集落から西谷の支流を遡ると5kmほどで戸入、更に9km遡ると門入の集落がありました。入は丹生のことで硫化水銀(辰砂)を製錬する技術を持った丹生氏が住んでいたと先輩から聞いたことがあります。全国に丹生という地名があり辰砂の産地と言われています。

 

 

 

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